おっかさん
『おっかさんに尻をふいていただいて
育ててもらった私達は
おっかさんのお尻の世話が出来ない間は
一人前だと思ってはならない
一人前づらをしてはならない
親不孝なわたくしは
親がして下さったことの
万分の一もお返しが出来ない
せめておっかさんがして下さったように
人にお返しをさせていただこう
石川 洋
「逃げたら あかん」
ぱるす出版 』
久しぶりにノートを開いたら、この頁が出ました。
人生には三分節というのがあるそうです。
「三分節」というこの文字が当たっているのか違っているのか
小生には分かりませんが、意味は知っています。
人生を三分割し
最初の三分の一は、自分自身の為に生きる。
次の三分の一は、家族の為に生きる。
そして最後の三分の一は、
地域の為、日本の為、世の為に捧げて生きるのが
人としてあるべき理想の姿だというのです。
自分自身、年齢や置かれた状況を考えるまでもなく
使命としても義務としても
地域の為、日本の為、世の為に捧げる道を
歩かなければならないのは明白ですが ・ ・ ・
しかし現実は ・ ・ ・
家族の為とはいうけれど、一度目の家庭は崩壊し
「すごろく」でいえば「元に戻る」からメンバーチェンジをして
二度目を作り直し歩く速度を速めたつもりが、
此処に来て急に失速
このままでは、今回も空中分解かと危うい状況
・ ・ ・これは決して冗談ではなく極めて深刻に考えております。
これは母が他界した頃の話しです。
その頃、小生は大阪吹田市豊津で単身赴任をしていて
週末は朝から御堂筋線で難波まで行って
難波ウォークにある数件の立ち飲み屋をハシゴして
朝と昼と晩飯と独り宴会を兼ねたような暮らしを
何年も続けていたのです。
ある時のこと、いつものようにコンビニのキャッシュコーナーで
お金を引き出そうとしたときのことです。
何と残高が数千円も入ってなかったのです。
金がないのに飲みたいと考えた挙句
母が残してくれ生命保険金に手を付けてしまったのです。
正直なところ、その日の酒の味は格別でした。
一杯目の熱燗を口に含んだとき
飲み込む前に涙が突き上げた ・ ・ ・
背徳の入り混じった快感と不安な心が底にある
罪悪感 ・ ・ ・ 虚しさと孤独
酔った目に映った御堂筋線から観える街並みは
小生にはどうしても好きにはなれなかった。
結局、俺は今でも母に尻を拭いてもらっているってことなんだな。
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