日記

『「日記とはペンを手にした瞑想である」
といったのはアミエルです。

中  略

「生きるということは、 日ごとに快癒し、新しくなること、
また自分を再び見出し、回復することである。
日記は孤独なものの心の友であり、 慰め手であり、医者である。
毎日のこの独白は祈りの一つの形式であり、
魂とその本体との会話であり、神との対話である」

(ブーヴィエ版「日記」1972。串田孫一訳)

草柳 大蔵
「花のある人 花になる人」
グラフ社 』

ある時

愚痴を書かなくなったら
書くことがなくなりました。

怒りを書かなくなったら
体調が悪くなりました。

夢を書かなくなったら
疲れやすくなりました。

そんな気がする。

日記を書くことを始めてから 随分と時が流れた。
まるで前世から書き続けて いるような気がします。
それはもちろん冗談ですが
10年前の大学ノートを開いて みても、これが本当に自分が
書いたものなのか? こんなことを考えていたのかと
赤面してしまいます。

読むべきではなかったと 後悔 ・ ・ ・

『勝新太郎さんが
どこかでこんなことを言っていた。
おれっていう人間とつきあうのは、
おれだって大変だよ。
でも、おれがつきあいやすい人間に
なっちゃったら、まずおれがつまらない。
私はすっかり感心した。
自分とつきあうのが大変だなんて
考えたことがなかったからだ。
「自分と出会う75章」
朝日新聞「こころ」のページ 編
朝日選書    』

小生にとって、日記がないと きっと、生きてはいけないと思います。
正確に言えば、
「羅針盤」や 「心のボルテージを測る機器」の役目を 果たしています。

結局、自分だけの日記ですから
書くことに何の制限も課すことなんて ありません。

嫌悪や驚き

虚栄や悲しみ

願望や喜び

何でもよいから 文字に乗せて 心のヒダを練り込んでいけば良い。

そして

書き綴ったその瞬間から、日記そのものの使命を 終えていく。

ペンをもって紙に書く。
こんなアナログな行為が 本当はCGなど比較にならない
恐ろしいほど原色の世界を 創り出す。

たった一行で 、数十年の時間を移動する。
たった一行で 、数万キロのを移動する。
「あの頃は ・ ・ ・」とか
「オーストラリアでの思い出は ・ ・ ・」と 書くだけ ・ ・ ・

空を飛ぶことも、花に語らせることも 何でも可能だ。

何という贅沢 ・ ・ ・

ノートの最後のページを開いて
書き終える頃には 、きっと様々な思いを包み込んで
ノート自体が、七色のオーラを発光しているに 違いありません。

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