死生観
『インド共和国ジャンムー&カシミール州ラダック。
中 略
ラダックの仏教徒が死ぬと、まず、大地に薪が並べられ、
死体は薪の上に寝かされてそのまま火が点けられる。
死体が焼けると、そのまわりを取り囲むようにして
四方にコンクリートの壁が作られる。
中 略
墓には、死者の名前や生没年といった
個人情報は記されない。
そのため、通りすがりの人間の目には、
それが誰の墓なのか
何歳でこの世を去ったのか、
何もわからない。
ラダックの人は言う。
「それが誰の墓であるのか、家族と、本当に親しい友達だけが
知っていれば、それで十分ではありませんか。
死んでまで名前や生没年を自己主張したところで、
そこに何の意味があるでしょう。
そのような執着を、私たちは好まないのです」
山田 真美
「死との対話」
SPICE 』
自宅から歩いて1分程のところから墓地が拡がっています。
敷地面積は22,000坪、
東京ドーム約1.5倍の広さです。
この地に居を構えたのは、
妹があの世に旅立ったのを期に
墓を用意しようと考えたからです。
叶うのであれば、歩いて行ける場所に
町営の墓地を手に入れるためには、この町の住人となる必要があったのです。
毎朝犬の散歩で必ず訪れるのですが、今では至福の時間となっています。
ナナカマドや山桜
白樺や箱根空木などの樹々が数千本。
季節をいち早く知らせてくれます。
北キツネには毎日のように出遭いますが
季節によっては、クマゲラ、テン、時には蝦夷リスに出遭うこともあります。
此処に1万基以上の墓石が建てられているのですが、
その一つ一つに特徴があって、毎日観ていても飽きることがありません。
「○○家代々之墓」「○○家先祖代々の墓」と書かれた一般的なものから
「南無釈迦牟尼仏」「妙法蓮華経」「倶会一処」などと書かれたもの
「ありがとう」、「安らかに眠ってください」といったメッセージや
「誠」「風」「愛」「慈」「心」「真」など、一文字に想いを託したもの
・ ・ ・ 実に様々です。
墓の数だけ死生観があるのでしょうが、人それぞれ違って当たり前のことです。
他家の墓を干渉することも不要ですし、
自身の建てた墓を評価される筋合いも全くありません。
ただ、余りにも奔放に凝りすぎて、お坊さんが墓を前に
「これはモニュメントであり、拝むことは出来ません」と
おっしゃっられたと聞いたことがあります。
墓地の入り口に近いところに、数年前に立て替えられた火葬場があります。
最新式のボイラーで点火したとき
多分棺が燃え始めたときだけ黒い煙が立ち昇り、
その後はタービンの動作する軽い音と屋上の排気口から発せられた
熱気によって生じた陽炎が景色を揺らします。
でも時々そのタービンが、
何かのかげんで異音を響かせることがあります。
ヒューという虎落笛(もがりぶえ)のような音や、
時には何かの擦れるような音がすることもあります。
気付くのに長い時間がかかりましたが、
あれは機器の所為では決してなく、この世に想いを残して亡くなった
死んでも死に切れない魂の叫びに違いありません。
毎日、人の死について考える機会を与えられている環境に感謝。
自分自身も、何年か後には多分この火葬場のお世話になるはずですが
そのときには、決して未練を残して叫ばないように
今、この生かされている時間を大切にして行動しなければと
ご先祖様の眠る墓石に手を合わせて心を新たにした次第です。
『
「心を磨かずに先祖供養だけをするのは間違い」
木村藤子
「神様に愛される生き方・考え方」
学研 』
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